フィリピン青色吐息

 以前暮らしていた時の事はお話はしません、それは今も昔も殆ど暮らしぶりは変わらないからです。変わったのは、為替で15年前は1万円で約1500ペソ、10年前で1600ペソから2000ペソ,今はなんと5000ペソを超えます(2005年11月30日現在4522ペソ)。フィリピンは強烈なインフレですね、物価の値上げラツシュ、しかし賃金は上がろうとしない。聞くところによると、人口の90%が貧困層で残りの10%が高級生活者ですね、ここらの生活に成ると日本での上流社会とは桁が違うようです。
フィリピンは、非常に豊かな数十の地主家族が、国土の半分以上の土地を所有している。フィリピン政府の調査によると、7800万人のフィリピン人のうち約40%が、1日100円(0.75ドル)以下の収入で生活をしている。国連の調査によると、1日1ドル以下の生活をしている人は、インドネシアで11%、タイでは1%しかいない。
こうしたひどい貧富の格差は、19世紀にフィリピンを植民地支配していたスペインに利益をもたらすため、サトウキビ、タバコなどの商品作物を栽培する大農場が作られた時からのものだ。大農場を所有する人々が、スペイン政府の手先として、フィリピンを支配する構造になっていた。この構造は20世紀に入ってアメリカの植民地になってからも変わらず、1946年に独立した後も、24議席からなる上院議員や、歴代大統領の多くは、この特権支配層と何らかのつながりを持った人々である。国を支配しているのが農村の地主層であるため、貧困は都会より農村で厳しいのです。「再び植民地にされるフィリピン   田中 宇様 の記事から」


ですからここらの特権支配層の生活なんて想像を遥かに超えたもんですよ、ですから上流社会の話もしません、したくとも私は上流生活をした事がありませんから、説明が出来ません、それで我がマグサイサイの貧困層の話を中心にしていきます。貧困層こそが今も昔も真のフィリピンと私は思います。
ハチャメチャな生活、喧嘩は絶えず、1年で4人も喧嘩で殺されるマグサイサイ、病気で1週間に2人も死んで行くこの地域、それで居て人口が増加していくマグサイサイ、就職率約20%のマグサイサイ、幼馴染結婚約90%のマグサイサイ、親戚関係が固まり暮らして行くマグサイサイ、仕事・家・お金が無くとも生きていてるマグサイサイ、借金だらけでもマグサイサイから逃げない人々、そんなマグサイサイに私は暮らして居ります。

さて何からお話を進め様かな・・・・・・・・・・・・
私が、終焉の地と決めた、マグサイサイは、マニラの北部でマラボーン市ですココに始めて足を踏み入れたのは、1985年と思います。義理の弟が、自分の妻の親・兄弟・親戚が居ると言う事で、相談もせず、自分の判断で決め、お金はこちらが100%出しました。その当時まだそれ程家も無く、沼地に瓦礫を入れて埋め立て建てて行く土地でした。他の家は木造、で私の家だけが、ブロツクで、建てた2階建ての2個1の家で、それは、当時は豪華な城のようでしたね、当然ですね、他の家は大半は古い木を使い本当にボロ屋、それにダンボールを使う家も有りましたからね。そんな城のように見えた家が、今は埋もれ見下ろされる家に成りました。3階建て、4階建てが周りに建ちました、それらの家は殆どジャパンマネーです。僅か一・二年の日本での仕事(ジャパユキ)で、3階建て、4階建ての家が出来るのですからまさしくジャパンドリームですね。

このマグサイサイで暮らしている日本人は私1人です、日本人が暮らすのは高級住宅地が多いですが、本当にフィリピンを知るには貧民屈で生活をした方が楽しいですね、(負け惜しみ)でもね、私は思いますよ、
無理して、高級住宅地で底辺の生活するより、お金が、無くとも貧民屈で1番上の生活をすれば、より楽しいと思います。危険地域でも、住民と上手くコミニケーションを図れば、安全で経費も安く暮らし良い場所と成ります。貧民屈の妬み・見栄など恐れず、楽しく暮らしましょう・・・・・マグサイサイ万歳!明日は無いが、今日の為に生きて行こう。  誰が詠んだのかは知りませんが、
               【心知らぬ人は何とも言わば謂え、身を惜まじ名をも惜まじ】
                                            dy キャプテン・サント
マグサイサイの斜塔 ピンクの館 ホワイトハウス
マグサイサイ マグサイサイの斜塔 ピンクの館 ホワイトハウス
マグサイサイ これらの家でスラム街が下町に格上げされる事を願う。
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