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四国地方の旅
徳島 香川(丸亀城)     
ココには夜中に着き、丸亀の駅前で野宿をして朝、丸亀城に向いました。四国のお城は戦災に巻き込まれる事は無く4つも残って居ります。
丸亀城 丸亀城 丸亀城 丸亀城 見返り
高松城
写真を入れるのを忘れました、後日入れます。      一欄表
うだつの町     徳島県脇町
和歌山城を見聞した後、フエリーで徳島に渡り一路脇町に向いました、ココにはうだつの町があり更に映画の舞台にもなつた映画館が有ります、これを見聞して土佐は高知に向いました、本当に強行で60近いおつさんの行動とは思えませんね、自分で自分が凄い人間に見えてきたと同時に、凄く馬鹿な人間にも見えて来ましたよ。
うだつの町 うだつの町 うだつの町 うだつの町 オデオン座
確か暑い炎天下の中バイクを走らせていました。ほんとうに暑い日でしたね、脇町に到着した時は、暑さで立眩みがしていました、しかし真夏に強いサント様そんな事では参りませんよ、太陽がガンガン照る、うだつの町を見聞しました。見聞したところで何のコメント出ません。 詳しくはココを
長野県東部町にもうだつの町があるですね、今回は行けませんでした。
大歩危・小歩危
大歩危 大歩危 大歩危 小歩危 小歩危
ココは何度か車でとか電車で通りましたが、感動を呼ぶところでは有りませんね、むしろ『何処が危ないね』という感じですが、イロイロ意味が有るのでしょう、他の方のHPを覗いて見ましょう。
がずら橋
がずら橋 がずら橋 がずら橋 がずら橋 建設中の
写真で見ると凄いでしょう、手前にもう1本橋が有ります。近代的な橋、そこから写していますよ、それにココはもう秘境では有りません、間もなくこの近くに近代設備のホテルが、嗚呼!嫌ですね、この様な観光地は。この橋はもう昔の姿をしていないと思いますよ、良く見てください、鉄筋が入りワイヤーで吊り、車が渡つても落ちないですよ。デモね、隙間は昔のままらしい。 他のHPを見てもガツカリした事は書いていませんね。地元の方がこれを見ると、怒るでしょうね、でも仕方がないでしょう、おいらはそう感じたのだから・・・・・・・
感想 ココは秘境中の秘境と認識していました、またテレビでもそもように放映され、地元の方の苦労計りしれない、この橋を維持をしている、材料を採る、運ぶそれは大変な苦労が強いられるとも聞いていました。又この橋を懸ける動力は如何ばかりとも、そんな橋をどうしても見て置かないと、これは悔いを残す事に成ると思い、高知城を見聞前に道を反れ、かずら橋に向いました。それは山の中で、凄く期待が膨らみます。そうですね、大歩危から走りに走り1時間掛からないと思いますが、現場に着きました。見て驚き「ふざけるんジャ〜ネー」と言いたく成りました。でも昔はそうなんだろうろと気を取り直し、お金お払い、安全を約束された橋を渡りました。

『特集』  高 知(高知城)← 詳しくは  一欄表
NHKの大河ドラマ山之内一豊が連載されます、それで放映より掲載致します。これから1年高知城は賑わう事でしょう、2年前我が郷里京都は壬生はNHKの大河ドラマ『新選組』で大賑わいでした。それにして恐るべしNHKですね、地域の経済を変えてしまいますからね。これから高知城がどの様に儲けるのか見たいですがね。
高知城 高知城 高知城 山之内一豊像 高知城
山之内一豊像 千代像 国宝の証 高知城 高知城
山之内 一豊
父・盛豊は尾張岩倉・織田家の家老だったが、岩倉城は尾張統一をめざす信長により滅ぼされ、一豊は父を失い放浪の身となる。父の仇・信長との強烈な出会いから信長こそ主と心に決めた一豊は、秀吉に槍の腕を見込まれ、以後秀吉に従い幾多の戦に従軍。槍一筋、不器用ではあるが真っ直ぐな生き様を貫く。政治的な立ち回りは不得手だが、関ヶ原の戦前夜、千代の機転により家康の信任を得、戦後土佐24万石を得るが、しかし約5年で
(慶長5年から慶長10年9月)後は忠義が約50年と山之内家が徳川幕府と共に明治まで受け継いで来ました。これは凄い事ですね。
播磨橋
高知と言えばやはりココでしょう、日本三大ガツクリ名所の1っですが、最近イメージチエンジでこの様な橋に変わりましたよ、以前は欄干1本にはりまや橋と書かれだけでした。汚名返上ですね。高知城の帰りココに到着したのがもう夜でした、暫く橋を見聞していましたが、この後どうのようにして京都に帰ったのか記憶に無いのですね。
でも京都に辿り付いたのは確かです・・・・・・・・
はりまや橋 はりまや橋
☆四国編  愛媛(松山城
ココですか、夏目漱石で有名な所ですが、今回それを忘れ、唯ひたすら城めぐりを致しました。まず、ココで讃岐うどんを食べましたが、これが本当に讃岐うどんなのか、疑う程不味くそれに、とんでもなく高いうどんでした。四国にもこんなうどん屋が有るのだと認識して、次からは看板を見てから入る事にしようと反省しました。因みにココはすし屋でした。それにしても高いうどんでしたよ、天婦羅うどんと稲荷寿司2個で1500円でしたよ。お城の見聞より、うどんの見聞をしてしまいました。「そうだ!写真に撮ればよかつたのにな〜」
松山城@ 松山城A 松山城B 松山城C 松山城D
松山城E 松山城F 松山城G 松山城H 松山城I
☆☆ 愛媛(宇和島城)
  一言、実に遠いです、松山から何時間掛かるかな、とんでもないところに来た気に成りました、そしてお城見聞中に雨が降り、走りましたが、苔混じりの石段で滑り落ち三脚はどこかに飛ばし紛失・新品の500万画素のカメラはバラバラに壊れ、怪我はすわで踏んだり蹴ったりの宇和島城でした。
感想ですか、怪我をして痛かつたですが、それより痛いのが新品のカメラ約10万円ですよ
、それに三脚と重症ですね大損害の旅でした。しかしメモリーは無事でした。
宇和島城 宇和島城 宇和島城 問題の石段 宇和島城

大洲城   一欄表
ココも見聞しませんでしたが、何ら13城目の木造の天守閣に成るそうですです。
金毘羅
ココは元郵便局の知人と青春18キツプで旅しました。実に約40年振りの金毘羅さんでした、40年以上も経てば記憶なんて総て抜けて居りますし、見るもの総て始めて見る風景ですね、ここでも讃岐うどんを食べましたが、これが安いのですよ。
讃岐富士 金毘羅駕篭 讃岐うどん 金毘羅さん 金毘羅さん
讃岐富士 讃岐うどん 金毘羅
金毘羅さん 讃岐平野 金毘羅さん 金毘羅さん登り 五人百姓
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番外写真
写真はやはり写して居りました整理していたら出てきました、この高い「冷しうどん」、見た目は美味そうでしょう、食べて驚きですからね、それにすし屋の癖に寿司が不味い事、冗談じゃないよ。
私の好きな写真もついでに貼り付けて置きました。特にこのアカシャツ先生は小説のイメージと全然違います、腰が低く、喋りが上品、人扱いがうまい!でもマドンナも悪くは無いのですが、イマイチ少し違うかな?それと大阪新名所の写真も1枚追加です。
四国偏 大阪新名所
1500円の冷しうどん マドンナ アカシャツ教頭 グリコ くいだおれ太郎
本当に讃岐うどん? お気に入りの写真 グリコネオン くいだおれ太郎
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